冷戦デート (2/8)



 鏡を通り、街へ出る。外泊許可は昨日のうちに取ってあった。朝とは言え、週末の街は賑やかだった。喧騒とまではいかないが、それなり人通りのある道を進み、目印を探す。
 ――デートプラン、その一。待ち合わせにはシンボルを使う。 
 マジカメで何度も見掛けた、よく目立つ噴水が視界に入った。買い出しに来る度に見てはいたが、全く気に留めていなかった街のシンボル。このような場所で待ち合わせる事で、気分が高まるのだと言う。アズールは傍のベンチに座ろうとして、眉を顰める。明らかに恋人を待つ、着飾った男女が既に数人集まっていた。そこに混ざって待つなんて御免だ、と離れようとしたところで、ふわりと慣れた香りがした。驚いて足を止め、目を動かして探ると、端のベンチに座る長身の男を見つけた。思わず出そうになった声を飲み込んだ。
 見慣れないカジュアルな服装を身に纏った彼は、姿勢良く座って文庫本を読んでいた。黙っていればかなり絵になる光景に見惚れそうになるのを咳払いをして誤魔化し、彼の方へ足を進めた。
「おはようございます」
 正面に立って声を掛けると、ジェイドは本から目を離して顔を上げた。アズールと目を合わせると、目元を緩めて微笑んだ。
「アズール、こういう時は『待ちましたか?』と聞くんですよ」
「何ですか、それは。どう見ても待っていたのは明白でしょう……嫌がらせをしろと?」
「ふふ……『全然待っていない』と言って欲しい乙女心、ですよ」
「僕は乙女ではないので、その意見は分かりかねます」
 ジェイドは静かに笑いながら本を閉じ、小さめのショルダーバッグに仕舞う。アズールは顰め面でそれを見下ろす。
「では、行きましょうか」
 優雅に立ち上がったジェイドは恭しく手を差し出す。暫しその手を睨んで、それから深く溜息を零しながら、乱暴に掴んだ。
 ――デートプラン、その二。手を繋いでショッピングへ。
 仲良く手を繋いで、というよりは、アズールがジェイドの手を掴んで大通りへと進んでいく。アズールは手の中にある体温と、自らの手が発汗している可能性ばかり気になって押し黙っていた。ジェイドは時折、窮屈げに手首を捻りながら、微かに笑う。そうして歩いている内に商店街へとたどり着いた。アズールは一旦足を止め、引っ張っていたジェイドの方を振り向いた。
「着きましたよ。どの店から入りますか」
「そうですね……一般的には興味のあるお店か、雰囲気を重視したお店になると思われますが……」
「前者だと普段の買い出しと変わりませんね……」
 道の端に寄りながら、数日前に調べたばかりの情報を引き出し合う。暫し話し合って、商店街を見回す。雰囲気のある店、と言っても、二人の感性では分からない。
「少し観察してみませんか? 周囲のカップルがどのお店に入るのか、見て決めましょう」
 逡巡していたジェイドが不意に提案した。周囲を忙しく見回していたアズールはその言葉に納得して、思わず笑みを浮かべてジェイドを見上げた。
「それですよ! 流石はジェイド、良い事を言いますね」
「それほどではありません。では……観察いたしましょうか」
 くすりと笑って、彼はそっと大通りに視線を向ける。アズールは一瞬、目を逸らされた気がして違和感を覚えたが、気のせいだろうと思い直して自らも通りへ視線をずらした。
 
 道を行くカップル達は大抵手を繋いで、偶に腕を組んで歩いていた。顔を見合わせて楽しげに笑い合ったり、照れて目を逸らし合ったりするのを見ていると居た堪れない気持ちになる。しかしアズールは依頼の為と我慢して観察を続けた。
 ある程度の数を観察したところで、選択されやすい店舗が絞られてきた。雑貨屋、ブティック。服飾品を購入可能な店舗は、観察したカップル達の大多数を引き寄せていた。そう結論付き、隣に立つジェイドの方へ顔を向けると、目が合った。
「雑貨屋やブティック、ですね?」
「やはり、そうですよね。服飾品のプレゼントは定番という記事も見掛けましたし、彼らもそれが目的でしょう」
「はい。店を出た方々の袋や箱を見る限りはそうでしょうね」
 壁に寄りかかったまま、真面目な顔で顔を突き合わせ頷き合った。
「では、まず近くの雑貨屋から入りましょう」
「承知しました」
 今度はアズールが手を差し出す。今の議論で、普段とほぼ変わらないのだと安心して、慌てていた心境も落ち着いていた。ジェイドは少し笑いながら、自らの手をアズールの手の上へ乗せた。
「うわっ!?」
 途端にアズールは手を引いた。そしてジェイドの顔を見て、ぎょっと目を丸くする。首を傾げるジェイドの手をまた乱暴に、両手で掴む。
「お前、手が冷たいですよ! 寒いなら言え!」
「おや……気が付きませんでした。寒さには強いのですが、体温ばかりはどうしようもありませんね」
「何を呑気な! ああもう……早く入りますよ!」
 冷え切ったジェイドの手を、少しだけ温かいアズールの手が掴んで引っ張った。
「貴方だって冷えていますよ」
 おかしそうに肩を震わせて反論するジェイドの言葉を無視して、アズールは無言で近くの雑貨屋を開けた。
 
 店内は外より格段に温かかった。ほうと息を零したジェイドにアズールは口をゆがめる。
「寒かったんでしょうが」
「アズールこそ、鼻が赤くなっていますよ」
 睨む視線を躱す笑みにまた溜息が出た。アズールはそちらから目を外して、店内に並ぶ商品へと視線を走らせ始めた。
 ――デートプラン、その三。お揃いの物を購入する。
 変わった物は特にない。一般的な雑貨屋だった。そう考えたアズールは、そもそも学園内の購買部が異質である事を思い出して苦笑する。一般的の基準は随分と低くなってしまった事だろう。ジェイドへ視線を遣ると、彼も似た様な事を考えていたのだろう、困ったような顔で微笑みアズールを見ていた。
「どれにします?」
「邪魔にならない物がいいですよね。しかし、折角ですからデート中に身に着けられる物はいかがでしょう?」
「確か、定番モノはストラップや簡単なアクセサリーの類でしたっけ」
 陳列された平凡な棚を眺めつつ、仕入れた情報を思い返す。ふと小さな鏡の下に置かれたブレスレットが目に留まる。翡翠を模した物か、チープな作りだが随分と発色が美しい。
「そちらにしますか?」
 じっと眺めていると、ジェイドが横から覗き込んでくる。細長い指がそれを手に取って、角度を変え観察する。
「なるほど……縫製は甘いですが、デザインは悪くありませんね。貴方が好みそうだ」
「色が綺麗に出ていると思って見ていただけです。でも、もし気に入ったなら、それにしますよ」
「では僕は、こちらの色にしましょうか」
 翡翠色のブレスレットをアズールへと手渡し、ジェイドは隣の青色を持ち上げた。濃い藍色の発色はラピスラズリをイメージしていると推測出来た。アズールは秘かに唇を噛んで、暴れ出しそうな心臓を押さえ込む。どうせ意味はない、揶揄っているだけだ。そう思いながらも、彼の手首に飾られた青色から目が離せなかった。
「ふふ……良いですね。気に入りました。こちらを購入します」
「……そうですか」
「似合いますか?」
 自らの手首を見つめていた二色の瞳が、アズールの方を向く。微笑んだ口元も、真面目げな目元も平常と変わらない。分かっているのに、勝手に緩み出しそうな頬を突っ張らせ顔を背けた。
「似合っていますよ」
「見ていないじゃありませんか。恋人にそのような態度はいかがなものかと……」
「誰が恋人だ! 誰が!」
 揶揄われている。危惧した状況が訪れかけている不都合に思わず声を荒げると、ジェイドが少し目を丸くした。しかし、すぐにいつもの笑顔に戻り、「すみません」と告げた。
 
 雑貨屋を後にして、また手を繋ぎ通りを歩く。その手首には、それぞれ翡翠とラピスラズリに似たガラス玉が飾られている。
「次はどうしますか? ブティックも見ておきます?」
「いえ、行かなくていいでしょう。服なら何度か一緒に見に来ていますから」
 数週間前、三人で服を見に街へ訪れた日を思い出して言うと、ジェイドも同意を示した。フロイドの予定が合わず二人で来た日もあったのだし、と頷きながら、一度手を離して鞄に仕舞っていたノートを取り出し、作成したプランを確認する。
「水族館、ですかね」
 横から覗き込むジェイドが呟く。午前中の予定としては、ショッピングと水族館または遊園地。近くにあるのは水族館だ。ノートを片付け、今度はスマートフォンを取り出す。地図アプリを起動しながら、手を繋ぎ直した。
「あ」
 すると突然、ジェイドが声を上げた。訝しく思いアズールがそちらを見遣れば、一瞬だけ驚いた顔をしていたが、すぐ取り繕う様に笑顔を浮かべた。
「……何ですか?」
「いえ、冷たかったので」
 手を繋いだせいかと若干の不安を覚えつつ問いかける。ジェイドは首を振って、手を握り返した。誤魔化した事は当然分かったが、追及してもどうにもならない事も良く知っている。「そうですか」とだけ返し、改めて水族館へのルートを検索した。