強張った腕をベッドに押し付けて、首筋に唇を落とす。啄む様に口付けると、白い喉が僅かに動いた。あんなに暴れていた心臓は、今はもうすっかり落ち着いた鼓動を繰り返していた。
「んっ……」
舌を這わせると、上擦った声を飲み込んだ音がした。思い出して、乱暴に掴んでいた腕を離してまた指を絡めた。指先は少しだけ冷たかったが、今朝の温度は見る影もないほど熱かった。ジェイドらしくないラフなシャツの下から手を差し入れて、薄い腹を撫でると、今度は明確に体が震えた。
「ア、ズール……本気ですか?」
「お前が言い出したんでしょう」
「そうですが、まさか貴方が、こんな真似を……ぁ」
手のひらを腹の上に滑らせて脇腹に触れる。戸惑いに揺れる瞳が、じっとアズールの顔を観察しているが、悟らせるつもりは無かった。この行為の裏にある感情は怒りの陰に仕舞い込んでいる。シャツを捲り上げ、ゆっくり肌を指先でなぞる。今日一日、ずっと騒がしかった口は鳴りを潜めて、感情を失した顔で指先を追い掛けていた。その表情に、また苛立ちが蘇る。
「嫌じゃないんですね」
滑らせた指が胸筋に到達する。ぺたりと手のひらを胸の上に置くと、ジェイドが唇を噛むのが見えた。合わせようとした視線は素早く逸れていく。質問への答えは何も返らず、アズールは内心で舌打ちした。
どうせ、最初から分かっていた事だった。デートをすると決まった日も、アズールの抱える想いを知ってか知らずか、楽しんでやろうと顔に書いてあった。だから、今、傷付いてしまったのは隙を作った自分のせいだ。状況を理解しきれずに体を震わせているジェイドを見下ろしても溜飲は下がらない。
暫く触れ続けていると、ジェイドは頬を枕に埋め、顔を隠した。拒否も非難もしない癖をして、妙な逃げ方をするものだと思う。嫌なら嫌と言えばいいのだ。今の妙な状態だって楽しもうとしているに違いない。そう結論付けたアズールは、胸に触れていた手を離した。ちらとジェイドの目が様子を窺うのを確認してから、ベルトに手を掛けた。
「待っ……!」
すぐさま目を見開いて起き上がろうとした上体を押さえつける。伸ばされる手を避けながら、バックルを外す。冷静な自分が俯瞰しながら溜息を吐いた。
こんなはずじゃ、なかったのに。何もせずに寝て起きて、何事もなく、楽しかったで終わらせる手筈だったのに。今日だけではなく、それを一生、続けるつもりでいたのに、たったの一言で全てぶち壊されてしまった。
ベルトを引き抜き、ズボンに手を掛ける。ジェイドの長い脚が丸まろうとするのを両脚で制止する。遂にジェイドの腕が目の前で振り抜かれて、咄嗟に身体を後ろへ退いた。
「危なっ……! なんです、今更。そんなに嫌ですか?」
「嫌に決まっているでしょう!?」
顔面を殴る勢いで鼻の先を横切った拳を渾身の力で押さえつけて、再びベッドへ押し付けた。綺麗だった床には眼鏡やベルト、備え付けられていた時計やライトが散乱している。顔を背けたまま叫ばれた言葉に、とっくに諦めていた筈の心臓が冷える。ジェイドを押さえつけている手足が冷え切っていくのを感じた。反して、目の奥は熱を持つ。
全部、全部、分かっていた事じゃないか。自嘲して、血の上った横顔へ言葉を返そうと口を開く前に、鋭利な金色の瞳に睨まれた。
「だって、貴方は、僕の事が好きではないでしょう!」
開きかけていた唇が中途半端なところで止まった。睨む目が水分で潤んでいる。先程見た夜空みたいで、綺麗だと思った瞬間に、雫となって頬を伝った。泣いているのだと気付いた時には、腕は振り払われて目の前に背中が向けられていた。呆然と自分より大きな背中を見下ろして、そして「は?」と呆けた声が出た。理解が出来なかった。泣きたいのはこっちだ。無意識に歯軋りしていた。
「……お前が! 言うな!」
眼下に収まる腰を引っ掴んで持ち上げる。短い悲鳴じみた声を無視して下着ごとズボンを引き下ろすと、同時に肘が脇腹に入る。そのひどい痛みに呻きながらも、うつぶせてしまった体をひっくり返す。まだ少し赤い目がさらに剣呑さを帯びてアズールを睨んだ。
「嫌だと言っているのが分かりませんか!? 貴方って本当にどこまでも依頼の事ばかりなんですね、僕の気持ちも考えないで……」
「だから、お前が言う台詞じゃないだろうが! 本当にいつもいつもお前は僕を揶揄って遊んで、楽しいですか!?」
「今は関係ないでしょう!?」
「今じゃなければいつ言えばいいんだ!」
いつになく興奮した様子で怒鳴るジェイドに、殴りかかりそうな両手をそれぞれの手で押し返しながら、ヤケクソになって叫び散らす。お互いに酸欠になって、荒い呼吸が二人の間を通り抜ける。暫くにらみ合っていたが、先にジェイドが顔を逸らして枕に埋まる。
「僕は、貴方の野望の為なら、何でも利用してもらったって構わないと思っています。ですが、この気持ちだけは、駄目なんです」
押し返していた手から力が抜けて、彼の両手がベッドに落ちる。静かなトーンで、少し揺れた声が冷静を失くしていた頭に響く。なんだか、どこかで聞いた様な言葉だと真っ先に思った。
「……最低ですよ。それでも嫌いにはなれないと、知っていて」
疲れたような声色でジェイドは呟いている。アズールの真下で浅く呼吸する腹が緩やかに上下する。思考の鈍っていたアズールはしばし、彼の言葉を理解できずに咀嚼を続けた。そして、ジェイドの呼吸が落ち着いたころ、ようやく得心した。
剥き出しの腿に手を置く。ジェイドは驚いた顔でアズールを見た。
「好きなら、問題ないんですよね?」
「は……?」
そのまま腿を押し上げて、肩に乗せる。萎えた性器がアズールの目前に晒され、すぐに閉じようとした脚を掴んで引き留める。
「どうやら勘違いがあったようですね。まあ、お互いに隠していたようなので仕方がないとは思いますが……特にお前は無駄に上手ですから」
腿を押さえて体を折り畳ませ、顔をずいと近付ける。また、見た事の無い赤い顔でアズールを見上げていた。鼓動が速まり、生唾を飲んだ。そのまま、薄く開いた唇にキスをした。視界一杯に広がる濡れた瞳は、期待に揺れていた。舌で唇をつついて促せば、目が細まる。受け入れる為に開いた唇に舌を差し込んで、彼の長い舌に絡ませた。
こんなのは無駄な知識になると思いながら、昨晩一人になってから妙なテンションで『一夜の過ごし方』を調べておいた甲斐があった。上顎を舐め上げるとびくびく押さえた脚が震える。段々と視界が滲んでいく。アズールの頬へ涙が垂れて、そのままジェイドの頬に流れていった。
「……貴方、本当に僕の事が好きだったんですね」
唇を離すなりそう告げたジェイドは、自らの頬を指でなぞって雫を掬った。アズールも目元を拭いながら「そうですよ」と首肯する。
「キスして、泣くほど好きなんですね」
「……ええ、そうですよ」
「揶揄われたと思って、怒るくらい?」
「そうですよ! 本っ当にうるさいな、お前!」
いつものペースを取り戻したジェイドの揶揄いに、悪態が飛び出した。堪え切れないといった様子でジェイドが笑い出し、泣きそうになる目元を乱暴に拭って窘めるように腰を掴んだ。すると、ぴたりと笑みが止んで、じわりと彼の頬が赤くなる。
「お前、結構照れるんですね」
「当たり前でしょう。だって僕、貴方が好きなんですよ」
「……そうでしたね」
固まった笑顔で言われると、嘘くさい彼の言葉でも真実味を帯びてくる。自らの顔も真っ赤になっているだろうことが分かって恥ずかしくなったが、ここまで来たら些細な感情だった。
改めてジェイドの長い脚を肩に乗せ、彼の腹を撫でる。
「ジェイド……」
「いいですよ。これは検証ですから」
「…………ええ、その通りです」
調子を取り戻したジェイドの笑顔を視界に収めると、アズールは目の前で垂れ下がっているジェイドの物に指を絡めた。ジェイドの腰が震え、唇が引き結ばれる。緩く手を動かしてみると、萎えていたそれは硬度を持った。彼の呼吸が不規則になる。
調べた知識を動員しながら、揺れる腰を見下ろす。男性同士の交接は一朝一夕で為せるものではないらしい。現状としても、検証としても、繋がる事を考えるのは現実的では無い。しかし、こんな事態にはならないだろうと思いつつも、密かに頭の隅に置いていたプランがあった。
根本から先までを絞る様に扱くと、堪え切れずにジェイドの喉から高い音が鳴った。思わずアズールの喉もこくりと鳴る。
「っ、ん……!」
先端に指を押し付けて動かすと、僅かに腰を上げた。それから数度同じ動きを繰り返せば、体が震える。熱い息が漏れたのを自覚して、自らのベルトに手を掛けた。金具の外れる音に顔を上げたジェイドが、少しだけ不安げに見上げてくるのをそっと撫でる。すると手に頭を擦りつけてくる。急く気持ちをどうにか殺して、ズボンと下着を脱ぎ捨てた。
「同性同士の交尾には、時間が掛かると聞きましたが……」
「そのようです。なので、今回は簡易的な方法を試します」
触れるまでもなく立ち上がっていた自身に顔が熱くなるのを感じつつ、無視してジェイドの身体を反転させる。うつぶせになったジェイドがちらと背中越しにアズールを見上げてくる。全部計画的な行動なら恐ろしい奴だと改めて思う。腰を掴んで持ち上げ、膝をつかせる。目の前に臀部が晒されて、触れたくなるが溜息で抑えた。
背中に軽く唇を落とす。ん、と鼻にかかった声が漏れるのを聞きながら、自らの腰を細い腿に押し付ける。またジェイドが視線だけ向けてくる。その頬を撫でてやると、いつもの読めない笑顔ではなく、楽しげな笑顔が浮かんだ。
片手で腰を掴み、そのまま、腿の間にゆっくりと突き入れた。性器同士が擦れ、小さな水音が響いた。俯せていた背中が跳ねて、甘い声が喉奥で鳴る。
「ぁ、あっ……な、るほど、これなら簡単にっ……」
「ええっ、いきなりの流れで行っても、違和感がないでしょう」
本能的にか跳ねる腰を押さえつけながら、自らの腰を腿へ何度も打ち付ける。定期的に一人で処理するのとはまるで違って、格段に気持ち良く、そして幸福感に包まれていた。誤魔化す様に分析を述べながら震える背中に再度口付ける。今度は強く吸い付いて、小さな赤い痕を残した。
自らの手で揺さぶられる肢体に、快楽か満足感か分からない吐息を漏らした。発情期の無い人間は常に即物的な生き物だ。もともと人魚であるアズールにはその感覚はまるで分からないと思っていたが、今はだいぶ理解できる気がした。人間になったからには、人間らしく愛を伝えるのも一興だ。
腹に腕を回して、背中から抱き締める。枕に埋まったままの耳元に唇を寄せて、小さく名前を呼んだ。欲に濡れた人間じみた目が、アズールを映す。臨界を感じて動きを早める。ジェイドの腰が大きく揺れて、腿が締め付けられる。どろりとシーツに落ちる白濁を捉えたまま、腰を引くと同時にその腿へ向けて欲を吐き出した。